キリスト教徒「アラー」使用…イスラム教徒猛反発 (2010.1.9)
(「マレーシア世界の窓」のコーナーでは、マレーシアとそれを取り巻く世界の成り立ち・かたち・動きをJAMS会員が解説します。会員の投稿を歓迎します。)

 マレーシアの裁判所が昨年末、キリスト教週刊誌に神の訳語として「アラー」の使用を認める判決を下したことに対し、多数派のイスラム教徒が反発を強めている。
 同国からの報道によると、首都クアラルンプールで8日、500人規模の抗議デモがあったほか、9日までに首都などのキリスト教会4か所に火炎瓶が投げ込まれ、2か所で建物の一部が焼けた。(読売新聞 2010年1月9日)

2008年総選挙後の状況と教会への襲撃(塩崎悠輝)

 2010年1月15日までにマレーシア各地11ヵ所の教会が、放火、石を投げられる、ペンキをかけられるといった被害を受けている。下手人は一人も捕まっておらず、犯行の背景や動機も何ら明らかになっていない。

 非ムスリムが「アッラー」という語を自分たちの信仰対象を表すのに用いることについて、イスラーム神学上の是非は意見の分かれるところである。アラブ世界ではキリスト教も「アッラー」という語を用いてきた長い歴史があり、マレーシアのキリスト教徒もこの語を用いてもかまわないのではないかという主張もある。一方でマレー語とマレーシア社会の背景はアラブ世界と異なっており、イスラームの優位性とヘゲモニー(kedaulatan Islam)を守るためにはキリスト教徒による「アッラー」という語の使用は許容されるべきではないとするムスリムの主張もある。マレーシア社会の背景とは、具体的にはマレー人・ムスリムが多数派であるとはいえ絶対的な多数とはいえない人口比やイスラーム系機関とキリスト教団体の間の布教をめぐるせめぎあい等である。この問題をめぐる裁判の当事者はカトリック系新聞と内務省で、裁判は一般裁判所の管掌であり、シャリーア裁判所や国家ファトワー評議会でこの問題を扱えないということにも一部のムスリムは歯がゆさを感じている。

 教会への襲撃事件との関連は何ら明らかにはされていないが、高等裁判所がカトリック系新聞による「アッラー」という語の使用を認めた判決に対して、イスラーム諸団体の抗議行動が相次いでいる。この問題はマレーシアで「イスラーム化」が進むことへの非ムスリムの危惧、一方では「アメリカ政府に代表されるキリスト教徒がイスラーム世界に対して軍事的・経済的・文化的な侵略を進めている」という少なからぬムスリムに共有されている危機感という大きな流れの中で起きている。双方に譲歩してはどこまで侵犯されるかわからないという警戒感がある。

 2008年の総選挙結果は、マレーシア政治が民族を基準とした(race-based)政治から課題を基準とした(issue-based)の政治に移行したことの表れであるとの見解もあった。しかしながら、有権者の投票行動は民族ごとに明らかな差異があり、マレー人が国民戦線(BN)支持、華人、インド人が野党3党支持という傾向が急速に進んだといえるものであった。2008年以降もBNに対する華人の支持は回復していない。一方でこの状況をさらに推し進めて、与野党のマレー人の大合同を目指し、マレー民族主義とイスラームを根拠にしてマレー人・ムスリムの政治的・制度的なヘゲモニーを確立しようとしている勢力も少なからず存在する。ナジブ首相自身にはそのような志向性は必ずしも強くないとしても、UMNOとマレー人社会の強い圧力があれば、今後政府も動かされる可能性がある。

■2010.1.15 塩崎悠輝(同志社大学大学院)

日本マレーシア学会(JAMS)