ナジブ氏が第6代首相に就任 (2009.4.3)
(「マレーシア世界の窓」のコーナーでは、マレーシアとそれを取り巻く世界の成り立ち・かたち・動きをJAMS会員が解説します。会員の投稿を歓迎します。)

マレーシアの副首相兼財務相だったナジブ・ラザク氏(55)が3日、第6代首相に就任した。昨年7月、アブドラ前首相から後継指名されて以来、国民に「変革」をアピール。マレー系優遇の「ブミプトラ政策」の段階的廃止を表明するなどして、昨年の下院総選挙で野党の躍進を許した与党連合・国民戦線の立て直しを目指す。(毎日新聞 2009年4月3日)

順送り人事におわったUMNO役員選挙(福島康博)

 4月3日に第6代のマレーシア首相に任命されたナジブ・ラザクは、これに先立って3月26日に行われたUMNO党大会において、無投票当選でUMNOの総裁に就任した。無投票となったのは、総裁選に立候補するために必要なUMNOの支部からの推薦数を満たしたのがナジブだけだったからだ。ナジブは、アブドラ前総裁の下で副総裁を務めていたことから、ポストが1つ昇格したことになる。

 UMNOには党員の性別と年齢によって3つの部(wing)が存在し、それぞれ婦人部(UMNO Wanita)、青年部(UMNO Pemura)、女子部(UMNO Puteri)と称する。PWTCで行われたUMNO党大会では、この各部の長を決める選挙も同時に行われた。それぞれに激しい選挙戦が展開されたが、終わってみれば副部長の人物が部長に選出されるという、順送り人事の結果となった。ナジブが副総裁から総裁になったのと、同じ構図である。

 婦人部長選挙では、事前の候補者一本化に失敗、現職のラフィダ・アジズと副部長のシャリザ・ジャリルが争ったが、シャリザが当選した。2008年の内閣改造で国際通商産業相を解任されたラフィダはこれで党のポストも失ったことになり、長きにわたって権勢を振るった彼女も、世代交代にさらされることになった。三つ巴戦となった青年部長選挙では、事前の予想ではマハティール元首相の実子であるムクリズ・マハティールが当選と思われていたが、蓋を開けてみるとアブドラ前総裁の娘婿であるカイリー・ジャマルッディンが選ばれた。カイリーは青年部の副部長であった。そして女子部は、6名が立候補する激戦となったが、これを制したのは副部長のロスナー・アブドルだった。

 この順送り人事の選挙結果をみて思うことは、UMNOという政党における組織の堅牢さと、そのような組織の中で繰り広げられる覇権争いの厳しさだ。若い頃からUMNOに所属し、時には自らの主張を党内に浸透させていき、また時には党内意見を集約していく。改革派であろうと守旧派であろうと、一つ一つ党内選挙を勝ち上がっていかない限り、BN政権の中枢を担うことはままならない。このプロセスをUMNOのパワーの源とみるか、あるいは汚職の温床とみるかは、判断が分かれるところだ。いずれにせよ、UMNOの新総裁であるナジブもまた、このプロセスの中で生まれた政治家の一人である、と指摘できよう。

■2009.4.6 福島康博(桜美林大学国際学研究所非常勤研究員)

ナジブ氏は新たな指導スタイルを確立できるか?(中村正志)

 UMNO総裁就任を目前に控えた3月24日,ナジブ氏は党青年部と婦人部,若年女性部の合同大会開会式で演説した。この演説で同氏は,昨年の総選挙で若年層の支持を失ったことへの強い危機感を表明し,党改革の必要性を訴えた。

 ナジブ氏はまず,「知識が豊富なうえ,要求が厳しく非常に批判的な」有権者層が誕生したとの認識を示した。マレー人有権者の意識変化の背景には,1969年の5.13事件(民族暴動)後に生まれた世代の増加とITの普及がある。

 現在の20代,30代は,高度成長のさなかで就職,就学した世代である。この世代は,1971年の新経済政策(ブミプトラ政策)導入以後,所得水準が向上し生活環境が改善されていく過程を体感していない。そのため彼らは,経済発展のプロセスを身をもって知る中高年世代に比べ,UMNOに対する帰属意識が薄い。加えて彼らは総じて学歴が高く,政治や社会問題に関する幅広い情報を,IT機器を活用して自在に入手,発信できる。

 新種の有権者の取り込みに必要な対策としてナジブ氏がもっとも強調したのは,金権政治(money politics)の撲滅である。

 党内金権政治の一掃は,歴代UMNO総裁にとって長年の課題であった。1996年の党大会の際マハティール首相(当時)は,金権政治がはびこれば国が滅ぶと訴えた。2003年に首相に就任したアブドゥラ氏も,汚職・金権政治対策を政権の最重要課題に位置づけた。しかし政界の浄化は進まず,一方でマスコミ統制が緩和されインターネットが普及したことによって,UMNOの中堅・地方幹部の汚職疑惑が次々に浮上した。これがとりわけ都市部で有権者の不興を買い,総選挙での予想外の苦戦の一因となった。

 これまでも党内金権政治を抑制すべく,役員選挙に関するルールの明確化(倫理規程の導入)や取り締まりの強化(規律委員会の設置)といった取り組みがなされてきた。しかしその効果は不十分で,今回の役員選挙でも副総裁選挙に出馬したモハマド・アリ・ルスタム氏(マラッカ州首相)が倫理規定違反で失格処分を受けた。

 では,どうすればUMNOから金権政治を一掃できるのか。ナジブ氏は,役員選出の方法を是正すれば金権政治はなくなると訴え,実現への強い意欲をみせた。役員の選び方の変更が金権政治一掃につながるロジックは単純明快で,投票人を現在の2000人あまりから5万人あるいは6万人に増やしてしまえば買収は不可能になる,というものである。

 さらにナジブ氏は,役員選挙への立候補制限を撤廃する意向を示した。現在,役員選挙に立候補するには,下院選挙区ごとに設置された地域支部(division)から役職ごとに定められた割合の推薦を得る必要がある。たとえば今回の総裁選挙に立候補するには,全191支部のうち30%以上の支部の推薦を得るのが条件であった。この規定を撤廃する狙いは,支部推薦をめぐる金銭の授受を一掃することにあるとみられる。

 役員選出方法の変更は,ナジブ氏にとって両刃の剣になりうる。現在の制度,とりわけ立候補制限には,現職総裁への挑戦を困難にする効果がある。なぜなら,どの支部が対抗馬を推したかが明白になるため,対立候補を推薦する支部は現職が再選された場合に報復を受ける可能性があるからである。実際,役員選挙への立候補制限は,党内の総裁批判を封じ込めるべくマハティール時代に導入され強化されたのである。今回ナジブ氏が提案した制度改正は,彼自身の党内指導力を浸食する可能性がある。

 従来の役員選挙制度のもとでは,党総裁は地域支部の幹部に利権を与えておけば再選に必要な支持を確保できた。だがこの制度が,党内金権政治の温床になり有権者の支持を損なう要因にもなった。ナジブ氏が有権者の支持の回復と党内支持の維持を両立するには,金権政治を促進した役員選挙制度を改正すると同時に,末端党員から直接的に支持を調達する新たな指導スタイルを確立する必要がある。ナジブ氏がUMNO党員に対して今後どのようなアプローチをとるのか注目したい。

■2009.4.11 中村正志(アジア経済研究所)

ナジブ首相の誓い―“One Malaysia. People First. Performance Now.”(篠崎香織)

 4月3日に、ナジブ・ラザク(Dato' Sri Mohd Najib bin Tun Hj Abd Razak)が第6代マレーシア首相に就任した。イスタナ・ヌガラで行われた首相就任式において同氏は、アブドゥラ前首相夫妻やマハティール元首相夫妻、閣僚など319人の来賓が見守る中、ミザン・ザイナル・アビディン国王の前で首相就任を宣誓した。

 その日の夜、ナジブ首相は約8分間の就任演説を行い、その模様は国営テレビ局RTM1チャンネルで全国に放送された。演説の中でナジブ首相は、新しいマレーシアを作り上げていくことを掲げた。スローガンは、”One Malaysia. People First. Performance Now.”。同首相はこの中で、新たなアプローチで人々と向き合う政府、すなわち、人々のことを第一に考え、きちんと仕事を遂行してその結果を重視し、多様なコミュニティに手を差し伸べる政府を作り上げていくことを強調した。また、様々な方面と協議を行い、地位や背景を問わず優秀な人材を広くリクルートし、政府の指導力と優先事項を立て直して強力な指導力を提供し、マレーシアがあらゆる潜在力を発揮できるよう導き、世界的な経済危機という難局を乗り切っていくとの決意を示した。

 政府に対して批判や異論を表明しうる言論空間が、アブドゥラ前首相時代に拡大したと言われている。これに対してナジブ首相の下では、そうした言論空間が縮小するのではないかという見方がある。こうした見方に対抗するような発表を、ナジブ首相は演説の中に盛り込んだ。真の脅威に備えつつ、平和と法と秩序の維持を託されたことに対する市民の信頼を拡大していくとして、野党である汎マレーシア・イスラム党(Parti Islam SeMalaysia:PAS)と人民公正党(Parti Keadilan Rakyat:PKR)の機関誌に対する3ヶ月間の発行停止命令を解除し、国内治安法の被勾留者13人を釈放し、国内治安法を全般的に見直すと発表した。ナジブ首相の演説の直後、サイド・ハミド内務大臣は、ヒンドラフのメンバー5人とダルル・イスラム関係者5人、外国人3人が釈放の対象であることを明らかにした(なお2008年12月の時点で、国内治安法に基づく被勾留者数は46人)。

 2008年3月の総選挙以来、与党連合の国民戦線(Barisan Nasional:BN)に対して変化を求める声が高まっている。またその声は、BNの中核政党である統一マレー人国民組織(United Malays National Organisation:UMNO)に直接投げかけられることが多くなっている。ブリタ・ハリアン紙のマンジャ・イスマイル総編集長は、UMNOが人々の信頼を回復するには、公平・公正で金銭の絡まないクリーンな党内選挙システムを構築しなければならないと指摘する。スター紙のウォン・チュンワイ総編集長は、新経済政策(New Economic Policy:NEP)の本来の精神は、貧困の撲滅と社会再編であり、UMNO関係者を金持ちにするためでも、ブミプトラが200万リンギの家やゴルフの会員権を安く購入するためでもないとし、ナジブ氏に対しUMNOの変革を求める。星洲日報の社説は、UMNOはここ数年来、職権乱用、汚職、金銭政治など人々にマイナスのイメージを与え続け、そのイメージを一掃できない限り、BNが支持を回復することは難しいと述べる。

 マレーシアの人々は、ナジブ首相が演説で誓った事柄を心に留め、それらが十分に履行されているか否かを日頃からチェックし、審判を下す機会の日に備えるのであろう。

ナジブ首相の経歴
 1953年7月23日にパハン州クアラリピスに生れ、現在55歳。著名な政治家を送り出してきた名門一族の出身である。父親は第2代首相の故アブドゥル・ラザク・フセイン(在任期間:1970年9月〜1976年1月)で、民族間の経済的格差の解消を目的とした新経済計画(New Economic Policy:NEP)を導入したことで知られている。また第3代首相の故フセイン・オン(在任期間:1976年1月〜1981年7月)はおじに当たり、その息子で現在内務大臣を務めるヒシャムディン・フセイン氏はいとこにあたる。

 クアラルンプールのセント・ジョーンズ学院で学んだあとイギリスに留学し、マルバーン・ボーイズ・カレッジを経てノッティンガム大学に入学し、工業経済学で学士号を得た。1974年にマレーシアに帰国し、マレーシア中央銀行やペトロナス社に勤務したが、父親が1976年1月に白血病で急逝したことがきっかけで政界入りした。父親の死去により空席となったプカン国会下院選挙区議員の補選に、弱冠22歳で出馬して当選し、マレーシア史上最年少の国会議員となった。また国会議員1年目でエネルギー・通信・郵政副大臣に任命され、その後も教育副大臣や財務副大臣を務めた。1982年には、29歳の若さでパハン州首席大臣に就任。1986年以降は大臣職を歴任し、文化・青年・スポーツ大臣(1986年〜1991年)、国防大臣(1991年〜1995年、1999年〜2009年)、教育大臣(1995年〜1999年)などを務め、2004年1月に副首相兼国防大臣に就任した(2008年9月に国防大臣兼任をはずれ、財務大臣を兼任)。

ナジブ首相の個人ブログ:http://www.1malaysia.com.my/
 英語、マレー語、華語の3言語で設置。ナジブ首相の動静や政治的ビジョン、演説、経歴などに触れることができる。

■2009.4.12 篠崎香織(北九州市立大学外国語学部)

ナジブ首相の「1つのマレーシア」(山本博之)

 首相に就任して「1つのマレーシア」を掲げたナジブが真っ先に行ったことは、町に出てマレー人、華人、インド人とそれぞれ会うことだった。翌日の地元紙には、町で人々と握手し、談笑しているナジブの様子を示す3枚の写真が掲載された。ここに象徴的に表れているのは、マレーシアをマレー人、華人、インド人の3つの民族の連合体と見て、政治経済を含む社会生活のほとんどすべての面を民族ごとに担当する「民族の政治」の考え方だ。「民族の政治」への批判が高まり、民族別でない社会を求めた野党連合・人民協約が昨年の総選挙で支持を伸ばしていたが、それに対してナジブは「民族の政治」をより強化するというメッセージを発したということになる。

 ナジブ率いる与党連合・国民戦線は国民からの支持を回復し、政権基盤を立て直すことができるのか。その実現より前に、意外にも早い時期にナジブが政権を明け渡すことになるとしたら、その鍵はナジブが首相就任直後に行った2つのことにあるだろう。

 ナジブは国内治安法(ISA)で拘束されていた13人を釈放した。インド系の政治活動家が釈放されたことが注目された裏で、サバで大きな問題となっている身分証明証偽造の容疑がかけられた人々も釈放されている。ナジブは裁判なしに拘束できるISAを見直すことを表明しており、今回の釈放もそれとあわせて歓迎されるべきことではある。ただし、もし身分証明証偽造が国家の安全に対する現実の脅威だと考えてISAによる拘束を行ったのであれば、捜査を進めて身分証明証偽造の仕組みを明らかにし、関係者を処罰するなどしてこの問題に適切に対応すべきだろう。もし今後そのような具体的な取り組みが見られなければ、今回の釈放は政治的パフォーマンスにすぎず、サバは弄ばれたという印象を与えることになりかねない。これは「1つのマレーシア」からさらに遠ざかることになる。

 もう1つはメディア対策だ。ナジブは野党の機関誌の発禁処分を解いた。批判勢力を力づくで黙らせても別の場所で噂が広まり、それを国民が受け入れるという時代の変化に対応して、メディアに寛容な態度を示すかわりにナジブに対する個人的な批判を抑えるという狙いがあるのだろう。しかし、メディアにとって政権批判は重要な役割の1つであり、ナジブに対する批判的な報道をなくすことはあり得ない。ナジブが個人的に抱える疑惑を解消しない限り、批判は繰り返されることだろう。それに対してナジブがどこまで対応できるかはわからない。

 サバの人々に新政権への思いを尋ねると、多くの人から「ドリアンが落ちるのを待つ」という答えが返ってきた。ドリアンの実は、木に実っているときに食べると体を壊すので、木から落ちるのを待ってそれを食べろという暮らしの知恵から来た言いまわしだが、好ましくない事態があっても拙速を避け、時が熟すのを待って、時が来たら行動に出るという意味で使われる。ナジブ政権は好ましくないが、次の総選挙まで待ち、そこで自分たちにできることをすると確認しあっている。ナジブには、その時までに「1つのマレーシア」を真の意味で具体化させるという課題が課せられている。

■2009.4.12 山本博之(京都大学地域研究統合情報センター)

人事からみるナジブ新政権−ナジブはマハティールの影を振り払うことができるのか(伊賀司)

 ナジブの新首相就任を挟んで、マレーシアでは重要な政治イベントが目白押しであった。中でも、マレー人与党UMNOの党大会と党役員選挙、組閣、3選挙区での補選は重要なイベントであった。3月のUMNO党大会とナジブ新首相就任後の組閣について、一部の報道や、今やマレーシアでは重要なメディアとなったブログの世界では、大勢が事前の予想と違わず、「サプライズ」が少ないことを指摘する声があるが、これまでのUMNO党人事と組閣の暗黙のルールからすると、無視できない傾向が表れている。

 UMNO党大会では党序列のトップの総裁は党役員選挙のルールによって無投票当選が決定した。党総裁が無投票当選するのは「UMNOの伝統」からするとまず順当な結果である。通常、マレーシアのUMNO党役員選挙で注目すべきはナンバー3の副総裁補の選挙である。3人の議席を争うUMNO副総裁補選挙で、注目すべきは得票数トップで当選したのがアフマド・ザヒド・ハミディである。ザヒドは1998年のUMNO党大会当時、UMNO青年部長として当時の首相(UMNO総裁)マハティール批判の先鞭をつけた。その後、党内の「若手」の声に押される形で当時の副首相(UMNO副総裁)アンワルはマハティールと対決、その後、政府・与党から追放されたことはよく知られている。ザヒドはその際、国内治安法(ISA)で逮捕され、失脚した。その後、アブドゥラ前政権下でザヒドはナジブとの良好な関係によって徐々に党・内閣内で復権していたが、漸く失脚前の失地を完全に回復したと言えるだろう。

 組閣において注目すべきは副首相ムヒディン・ヤシンが教育大臣を兼任した点である。多民族国家マレーシアでは教育大臣は重要ポストで首相や副首相へのキャリア・パスの中で一度は経験しなければならない重要ポストである。だが、教育大臣就任は副首相に就く1つか2つ前のポストで、副首相が教育大臣を兼務したのは筆者の記憶だと独立前のトゥン・ラザク(後の第2代首相)を除いて他にはない。副首相はこれまで防衛、財務、内務といったポストを兼務してきた。その点から言えば、内務大臣に就任したヒシャムディン・フセイン(UMNO党副総裁補)は次期リーダーの地歩を確実に進めたと言える。ムヒディンの教育大臣兼務は副首相に就任した後でトップ・リーダーが経験しているはずのポストを急遽割り当てた側面を否定できない。

 UMNOと内閣の人事から見えるのは、UMNOを中心とする国民戦線体制はマハティール時代の90年代以降、舞台裏でひっそりと進行してきた長期低落傾向から脱却できていない点である。中でも1998年にアンワル一派を政府・党から追放した影響とその揺り戻しの混乱の中で次代のリーダーの発掘・育成に未だ問題を抱えていると言えよう。マハティールは未だマレーシア政治に間接的・構造的な影響を与えている。

 もう一つはより直接的なマハティールの影響である。前述のUMNO党役員選挙では青年部長にアブドゥラ前首相の娘婿のカイリ・ジャマルディンが当選した。これまでなら青年部長は閣内で何らかの大臣ポストを得るのが通常であったが、カイリには閣僚ポストが与えられなかった。一方でマハティールの息子で青年部長選挙で3位に終わったムクリズ・マハティールが国際通産副大臣として入閣した。この処遇について、党と政府の中でアブドゥラ前首相に近いグループが将来、不満を持つ可能性がある。また、ムクリスの入閣により前政権下で批判を繰り返したマハティールを取り込んだ形になっているが、ナジブが構造改革を進める上でアブドゥラ前首相が失敗した党・政府の腐敗や大規模プロジェクト見直し等の「マハティールの負の遺産」に直面せざるを得ない。その際、老いたとはいえ、生来の批判者気質を持つマハティールがどのように動くかも予想はできない。

 ナジブの首相就任直後の4月7日に行われた3補選(下院1議席、州議会2議席)では下院と州議会選挙区で野党が勝利し、与党が勝利したのは州議会の1選挙区のみだった。終わってみれば補選前と議席の改変は無かった訳だが、与党や政府系メディアが祝賀ムードを演出していた中での現状維持は、与党に対する逆風が依然として止んでいないことも感じさせる。ナジブに残された時間は少ない。ナジブが国民戦線体制を立て直し、次代の有望なリーダー層の発掘・育成にも手を付けることができるのか、注目である。

■2009.4.14 伊賀司(神戸大学博士課程)

ナジブ政権発足についての一般的所感(荒川朋子)

 先日発足したナジブ政権の顔ぶれを眺めると、内政に関しては、経済問題にベテランを、国内諸問題には新顔を積極的に配置することによって、新旧ほど良いバランスを感じさせる。外交に関しては、マレーシア建国以来の伝統ともいえる「全方位外交」の展開が予測されるし、インドネシア、タイ、フィリピンなどの近隣諸国には、「安定したマレーシア」を印象づけるのに成功している。また、欧米に対しても、アジア、とりわけ中国に対しても、細やかな対応ができそうな気配りが伺える。

 ナジブ首相自身は、前任のアブドラ・バダウィ首相、マハティール首相とは異なる系統の、いわゆる伝統型エスタブリッシュメントであり、有数の文化人・経済人等を輩出し、英国内でも高い評価を得ているノッティンガム大学経済学部を卒業している。政権のスタートラインにおいて、彼の通商その他に関する実績が懸念されるとはいえ、ユーロ圏が成立した欧州内においても独自のポジションを維持している英国で学び、その補佐としてアジア通貨危機を乗り切った経験のある閣僚を置いたことは、ASEAN内におけるマレーシアのポジションを大きく損なうことはないであろうという安心感を、そして、WAWASAN21を目指してまい進してきたマレーシアが今最も必要としている、21世紀の第二建国期「国父」としての確かなイメージを、国民に与えることに成功した。アジア通貨危機以来、その広がりが社会問題化した格差社会の出現という国内の不安感は、マレーシアが注視する中国を始めとした世界経済の悪化とともに、若年層の顕著なUMNO離れを促しているようだが、現実に政策運営を担う政権トップ層にしてみれば、求心力を失っているUMNOの建て直しには、彼を置いて他はないというのが現状であろう。マレーシア経済の緩やかな上昇局面に、追い風としての役割が期待されており、バランサー型の典型といえようか。

 日本にとって、ナジブ政権の誕生は、良好な両国関係の維持につながるとして極めて好意的に受け止められた。ラザク政権以降のNEPの基盤とマハティール政権で促進されたルックイースト政策を背反することなく存在させるナジブ氏の政治家像には、日本の政財界にとって良きノスタルジアとしてのイメージが浸透しており、これを契機としてか、企業のマレーシア進出も多く取りざたされている。観光面でも両国の一層の緊密化が図られる動きがあるが、問題は、マレーシア企業の日本進出にはそれに見合う動きが特にみられないことである。日本へのマレーシア人留学生数は、アジアでは中国・韓国に次ぐが、それらの優秀な学生の多くは、留学費用を清算するため、日本の企業に入ることが多いのは、20年前と変わらないらしい。マレーシアでは、最近ドーナツショップの海外第一号店が出たそうである。それが日本でなかったことは、自然といえば自然なのであるが、ちょっと残念に思われるのは私だけであろうか。

■2009.4.15 荒川朋子(主婦)

日本マレーシア学会(JAMS)