マレーシアのマハティール前首相(82)は[2008年5月]19日、アブドラ首相率いる与党「統一マレー国民組織」(UMNO)を離党したと、家族を通じて発表した。アブドラ首相は最近、マハティール時代と一線を画して独自路線を強め、前首相とのあつれきを強めている。与党離脱は、アブドラ政権に揺さぶりをかける戦術とみられる。(毎日新聞 2008年5月20日 東京朝刊)
5月19日にマハティール前首相が、アブドゥラ首相の退任を求めて離党の意思を表明した(21日に党最高評議会が離党届を受理)。マハティールは、UMNO所属議員と党員に対して彼の後に続くよう訴えているが、22日現在、議員や党幹部のなかに離党を表明した者はいない。マハティールの地元クダ州では数百人規模の離党者が出ているものの、おそらく、マハティールの要請に応える議員や幹部は今後も現れないだろう。マハティールが党内で実質的な影響力をもっていないことは、2006年にお膝元のクバン・パス支部で行われた党大会代議員選出選挙にすら勝てなかったという事実がはっきりと物語っている。
日本ではかつて、田中角栄元首相が退任・離党後も強い影響力をもち、「目白の闇将軍」と呼ばれた。一方、22年にわたる首相在任時にあれだけの権勢を誇ったマハティールは、いまではいわゆる「ただの人」である。マスコミの注目を浴びる著名人としての社会的影響力はあるが、ひとりで政局を動かすだけの力はない。なぜマハティールは「闇将軍」になれなかったのだろうか。
それは主として、(1)首相・UMNO総裁の権限が強く、(2)その権限は制度によって保障されている、という2つの事実による。この点について事細かに叙述する余裕はないので、とくに重要と思われる権限を2つだけ指摘しておこう。それは、(1)総選挙の党公認候補指名権、(2)州連絡評議会議長・副議長任命権、の2つである。この2つによって、党総裁は中央・地方の双方で広範な人事権を得ている。党規約上、公認候補指名権は最高評議会にあるが、第1回総選挙以来、総裁に実質的な指名権が与えられている。また、下院選・州議会選ともに小選挙区制で行われることが、公認候補指名権の影響力資源としての性質を高めている。一方、州連絡評議会正副議長の任命権は党規約で保障されている。
こうした制度の下では,首相・党総裁と対立する者が資金力などを背景に政治的影響力を行使する余地は少ない。長らく首相を務め高度経済成長という実績を残したマハティールには、依然としてある程度の権威はあるかもしれない。しかし現職のもつ権力の前では、元首相がもつ権威の効果はたかが知れている。
ただし、権威による裏付けが一切なければ権力自体が成りたたない、という点も考慮しておく必要があろう。指揮系統に従うという約束事が守られなくなれば、強大な軍事政権もあっけなく崩壊する。3月の総選挙での大敗によって、アブドゥラの権威が著しく低下したのは間違いない。マハティールの離党がさしたる影響を及ぼさないとしても、将来なにかをきっかけにアブドゥラが辞任に追い込まれる、あるいはまったくのレームダックと化す可能性は否定できないのではないだろうか。
■2008.5.22 中村正志(アジア経済研究所)
第4代首相として22年間(1981-2003)首相の座にあったマハティールが与党UMNOを離党した。離党発表は5月19日、アロー・スターで支持者を集めた講演の席上、「ハプニング」的に行われた。マハティールは、スピーチ後の質問で参加者から離党してアブドゥラ首相への反対活動を行うように求める声が沸きあがった際、その場で離党を宣言した。離党の公式声明は自身のブログで、その日の夜10時に発表された。離党発表について周囲の人間や家族(息子でUMNO青年部で台頭しつつあるムクリズを含め)に相談はなかったようであるし、本人もその場の雰囲気から一瞬で決断したようである。 マハティール離党の影響は今後の展開次第である。ただし、マハティール−アブドゥラの二者に加え、後継首相に最も近いナジブ副首相を加えた三者間の関係に注目する必要がある。
アブドゥラ−マハティール間の対立は、選挙後、ますますヒート・アップしている。マハティールは与党大敗の原因をアブドゥラの指導力欠如であると非難を強めている。一方、アブドゥラは政権延命のため司法改革に取り組む姿勢をみせているが、その一環として、弁護士のV. K.リンガムが関与した司法への行政の介入事件を問題にしている。事件に関し、5月16日の政府発表のレポートでは、マハティールの直接関与を含め調査が行われる方針が示された。アブドゥラ側のマハティールに対する攻勢であろう。
アブドゥラ−ナジブの間は、アブドゥラによるナジブの後継の確認と権力継承を進める方針が示されたことで、当面の関係は平穏を保っている。ナジブの関心は未だ明示されていないアブドゥラの退任時期であり、スムーズな政権移譲こそが最大の課題である。
ナジブ−マハティールの関係は微妙である。4月1日のフォーラムでマハティールは後継首相について問われると、以前の主張を若干修正し、ナジブを推さず、ナジブは複数の候補の1人であるとした。一方、5月7日には、マハティールはアブドゥラがナジブと自分との会談を邪魔しているとコメントを出している。このコメントの後、アブドゥラは両者の会談を妨害していないことを言明。その後の11日には、副首相公邸でマハティールとナジブの会談が実現した(Malaysiakini 2008/5/14)。会談内容について詳細は明らかではないが、両者の間でポスト・アブドゥラの取り決めが交わされた可能性が高い。21日に結束を確認するため開かれた緊急のUMNO最高評議会の後、ナジブは離党問題について、マハティールとの会談を行う用意があると語っている(Bernama 2008/5/22)。マハティール−ナジブ間では現在、水面下で交渉が行われていると思われる。
マハティールはアブドゥラ辞任後にはUMNOに戻るとし、彼に続いてUMNO党員に離党を求めているが、野党に加入しないように求めている。マハティール離党はUMNOに衝撃を与えたものの、その影響は、今後の三者の関係に大きく左右されると思われる。
■2008.5.23 伊賀司(神戸大学大学院博士課程)
5月19日、マハティール前首相は、地元クダー州にて千数百名が集まった集会において、UMNOから離党することを表明した。離党はアブドゥッラー首相に辞任を求めるためであり、アブドゥッラー首相の離党後に復党するともマハティール前首相は述べた。
マハティール前首相のアブドゥッラー首相に対する批判・辞任要求は、2006年から続いているが、3月8日の総選挙「大敗」という結果を受けて、マハティール前首相は改めてアブドゥッラー首相の即時辞任を求めた。マハティール前首相の長男であるムクリズ・マハティール下院議員やトゥンク・ラザレイ元財務相も首相交代を要求し続けているが、現職の首相兼UMNO総裁の権限は強大であり、12月のUMNO年次党大会での人事改選に向けて、総裁交替を実現する方途は、アブドゥッラー首相の辞任くらいしか考えられなくなりつつある。さらなる圧力をかけようとしたマハティール前首相が、自らUMNOを離党し、UMNO所属の閣僚、議員、一般党員に離党を呼びかけた。この呼びかけに答えた閣僚、議員は、23日時点で1人もいない。
マハティール前首相の離党表明に先立つ5月16日、リンガム・テープ問題に関する王立調査委員会の報告書が公表された。リンガム・テープ問題とは、著名弁護士リンガムが、当時首相府副大臣であったトゥンク・アドナンらと協議して連邦裁判所長官人事等の決定に参与したとされる問題で、マハティール前首相らが司法の独立に介入していたのではないかということが問題とされている。報告書は、マハティール前首相、トゥンク・アドナンらを煽動罪、公共機密法等に違反した容疑で捜査することを勧告している。アブドゥッラー首相も報告書を受けてマハティール前首相以下6名を捜査するべきであると述べており、これによってマハティール前首相とアブドゥッラー首相の対立はより尖鋭化したと見られる。
マハティール前首相のUMNO離党は、少なくともUMNOが内紛に終始し、アブドゥッラー首相には指導力が欠如しているという印象を有権者の間で広める効果はある。野党は、マハティール前首相のUMNO離党を好材料と見ており、アンワル元副首相は、9月までにアブドゥッラー首相に対する不信任案を可決させ、解散総選挙に持ち込みうると述べている。
■2008.5.23 塩崎悠輝(同志社大学院博士課程)
ロンドン時間5月19日に日付が変わろうとするまさにその時、携帯に一通のテキストがきた。
Dr M quits UMNO
その後、複数の友人達からも連絡があり、マハティールのUMNO離党が確かな話であると認識した。これを受けて翌朝、UMNOをはじめとする与党関係者等と電話で話をし、今回の影響について意見を交わした。マハティールのUMNO離党は特段大きな影響を与えることはないという点に集約された。
マハティールが特定の政治家を個人攻撃するのは今回が決して初めてではないことはよく知られている。しかし、UMNO総裁を批判するのであれば、実効性は別としても、UMNO内に留まっていた方が有効である。UMNOを離党し、特に新党を結成する意向がないのであれば、「前首相」という肩書きだけで批判することとなる。UMNOの党員は耳を傾けるだろうか。
さらに、今回の影響がさほど大きくならない理由は、他にもある。マハティール離党を受けて、与党関係者数名は、「取り敢えず、不確実性は去ったように思う」と述べている。次の一手が何かを明らかにせず、カードを胸の内に留めておくことの方が「不確実性」となり、効果がある。しかし、今回の離党行動によって、マハティールの手の内が明らかになったのも事実だ。まして、前回の総選挙結果を受けて与党各党が党勢回復に努めている時期だけに、尚更であろう。
今年度は、UMNOやMCAの党選挙が控えている。現時点では、UMNOの中央ではさほど大きな動きは予想されていない。アブドゥラからナジブへの権限委譲についてムヒディンに発言させたこと、マハティールがナジブと面会したことは、当面の間、ナジブの手足を縛ることになるだろう。一方で、UMNO青年部長選には、マハティールの実子ムクリズが出馬し、アブドゥラの娘婿カイリーや前スランゴール州首席大臣のヒール・トヨと争うこととなる。また、MCAの党選挙はヒートアップが予想されている。
与党各党が自らの党勢回復に努めている現状下で、アブドゥラが他党に介入することは当面の間考えられない。それほど、前回の総選挙の影響は大きい。
マハティールどころではない。まずは、自らの党勢回復に努め、国会でanti-hopping lawを通過、成立させて野党の勢いも削ぎたい。これが与党幹部のシナリオである。UMNO幹部の1人はこう述べた。
Again, Dr M..., But this time, no big impact lah.
■2008.5.24 相原啓人(ロンドン大学東洋アフリカ研究院)
筆者は2000年4月から2003年7月までの3年余、仕事でクアラルンプールに在住した。ちょうどこの3年間はマハティール長期政権の最後の時期と重なっている。仕事柄、パーティーや式典に招待を受ける機会が多かった。その中で何度かはマハティールが主賓として出席しており、彼の演説を直接聞くことができた。首相のスピーチが30分から1時間くらいあった後、食事というパターンが多かったように記憶している。演説は全て原稿なしで、最初の5分ぐらいはマレー語で、残りは英語であった。比較的ゆっくりとした口調の演説で、時折ジョークも交え、英語のヒヤリング能力が乏しい小生でも大半は理解できた。アブドラーの演説は、少し実際と違うかも知れないが、原稿を読み、マレー語だけで、大分違うなとの感想を持った。
2002年6月のUMNO党大会の閉会式のニュースをテレビで見ていたが、マハティールが「UMNO・BNの議長職を辞任」と発言し、驚いて首相のもとに詰め寄ったラフィーダ通産大臣に対し“Decided”と英語で答えていたのが印象的であった。
また、憲法上批判を禁止されているはずの「ブミプトラ」について、彼は、演説で怠惰なマレー人を嘆き、と同時に勤勉な華人を見習えとの話も何度もした。年率7〜8%の経済成長を遂げる中で華人の不満を吸収し、その間にブミプトラの優遇処置で彼らの生活を向上させるというマハティールの政策が、考えは良かったが、現実にはうまく行っていない嘆きも窺い知ることができた。
下世話な話を1つ。2003年7月の帰国後、マレーシアには30回くらい出掛けている。移動中に、企業やタクシーの運転手と話す機会が多かった。彼らのマハティールへの評価は“excellent”あるいは”clever”と概ね良く、対するアブドラーは前首相に比べ“so-so”であり1〜2ランク落ちるというのが平均的な評判であった。
■2008.5.24 岡本義輝(宇都宮大学大学院博士課程 Y. Okamoto’s Webpage)
5月19日、アロー・スターで行われたUMNOの集会において、マハティール前首相が最大与党UMNOからの離党を表明した。離党の原因をめぐっては、「アブドラ首相に辞任を迫るため」「リンガム・ビデオクリップの疑惑から国民を目を逸らすため」などの憶測が飛び交っている。そんな中、私はマハティールの2人の息子、ムクリズ・マハティールとモクザニ・マハティールの動向に注目している。
UMNO青年部の幹部であり、先の総選挙で下院議員に初当選したムクリズは、当選早々、アブドラ首相・UMNO総裁ら党最高幹部らに対し、1969年に父が時の首相、トゥンク・アブドゥル・ラーマンに対して行ったのと同様、選挙結果の責任をとって辞任するよう手紙を送ってみせた。父と同様、アブドラ現首相・総裁に対しては批判的な立場をとるムクリズであるが、今回の父の離党に関しては「後追い離党」をせず、UMNOに留まって党内から現政権への批判を続けていくと表明した。これは、12月に予想されるUMNOの役員選挙において、党中央の幹部職に転出を目指すヒシャムッディン青年部長兼教育相の後任を狙っての行動とみることができる。ムクリズは「私の行動に父は失望するかもしれないが、わかってくれるだろう」という旨の発言をしており(5月22日、New Straits Times)、自らの政治信条と親子の絆の板ばさみに苦悩している心情を吐露した。
これに対してもう1人の息子、モクザニ・マハティールは、ムクリズとは逆にUMNO離党を表明した。モクザニのUMNO内での地位は、青年部の元会計担当者であり、一地区のメンバーである。モクザニはF-1のセパン国際サーキット会長を務めるなど財界人であるため、政治的な立場はムクリズよりも格段に弱い。そのため、モクザニの離党そのものはUMNOにさしたる影響を与えない、というのがもっぱらの見方だ。
マレーシアの政界は、大物政治家の子弟がその跡を継ぎつつある。ナジブ副首相の父はラザク元首相であり、先述のヒシャムッディンは、父がフセイン・オン元首相である。アブドラ首相の娘婿であるカイリー・ジャマルディンや、アンワル元副首相の娘、ヌルル・イッザが先の選挙で初当選を果たし、また、選挙結果を受けてペナン州首相に就任したのは、DAPのリム・キットシアン党首の息子、リム・グアンエンである。
いずこの国でも、親の七光があれば、政界への進出が可能なのであろう。しかしながら、本人に実力が伴わなければ、「親の劣化コピー」という厳しい評価が待っている。父の離党に対し、異なる対応をみせているムクリズとモクザニ。今回の行動が、彼らの政治キャリアにどのような影響を与えるだろうか。良くも悪くも、父のこれからの動向が大きく影響を与えることになるだろう。
■2008.5.25 福島康博(桜美林大学国際学研究所・非常勤研究員)
「マハティール前首相、UNMO離党」のニュースを知った時、2つの思いが頭をよぎった。
―マハティールは年をとって、気でも狂ったのか!?
―政治とは不可解なもの。何でもありなのだろうか。
実はこのニュースは余震であった。大地震は2008年3月8日の第12回総選挙で起きている。UMNO(統一マレー国民組織)を中核とするBN(与党・国民戦線)は、解散時の198席を140席にまで後退させ、連邦を構成する13州のうち5つの州議会で野党に破れたのである。前回2004年の総選挙で9割という史上最高の支持率を得ていながら、今回は「3分の2割れ」という大敗ぶりである。
マレーシアの政党は単なる政党ではない。好むと好まざると、BNはこの多民族国家の屋台骨で、この体制は百年ぐらいは続くだろうと見ていた私は、「これは大変なことになるぞ!」と思った。マハティール時代に定着したと思われる「国のかたち」が揺らぎ始めたのであろうか。
5月の連休に「民族の政治は終わったのか―2008年のマレーシア総選挙の現地報告と分析―」と題する緊急?公開フォーラムが関西マレー世界研究会の主催で開かれた。中堅・新進気鋭の研究者の分析を聞きながら、私はリーダーシップ(個人の影響力)ということを考えていた。今回マレーシアで起きていることは、マハティールという強いリーダーシップを失ったことによる現象ではないか。アブドゥラ首相はこの4年間何をしてきたのだろう。そして、MCA(マレーシア華人協会)やMIC(マレーシアインド人会議)の党首たちは?もう1つの鍵はアンワル元副首相の事実上の政治復帰。彼はこの国をどこへ導こうとしているのか。マレーシアは果たして民族横断的な社会に移行できるほど成熟しているのだろうか。
マハティール前首相のUMNO離党は、ショック療法ではないか。「この国が危ない!マレー人、目覚めよ!」 1990年代後半の経済危機、政治危機の折の前首相の、英断、実行力を思い出した。しかし、同氏が首相の座を引いてもう5年も経っている。人々の心が離れていっていることも事実だろう。
KLの友人たちに聞いてみた。マハティールの強い支持者だった一人は言う。
「マハティールはもう出てくるべきではない。これから大変だ。マレー人社会は四つに分裂してしまったよ。マハティール、アブドゥラ、アンワル、そしてPAS(汎マレーシア・イスラーム党)。」
遅かれ早かれ、ナジブ副首相が、首相となるだろう。ナジブの動きとリーダーシップが問われることとなる。
私は拙著『マレーシア凛凛』で描いた「Sejahtera(平和な)Malaysia」が永遠であること、そして20世紀を代表するアジアの指導者マハティール前首相が晩節を汚さないことを祈らずにはいられない。
■2008.5.26 伴美喜子
マハティール前首相のUMNO離党のニュースは、驚きをもたらしたものの、何となくその気持ちもわかるような気がた。私は政治の専門ではないので総選挙を現地で見てきた「五感」に基づいた自分の考えをご紹介したい。
総選挙当日、私は友人が待つUMNO党本部のメディアルームに深夜過ぎに駆け込んだ。前回選挙のときは、当選が決まるたびに歓声が挙がっていたようだが、今回は、まばらな拍手が聞こえるくらい。
何故、与党が大敗した(それでも過半数は取ったけど・・・)のかと良く聞かれるが、やはりアブドゥラ首相の方向性が見えにくいというのがあるのではないかと思う。選挙はしないと言った直後の閣議の「解散」。ポーカーフェースを演じるあまり、国民は不信感を抱いた。
生活は、食品をはじめ物価はかなり上昇し、Pasar Malamで50リンギはあっという間に飛ぶ。ガソリン価格をはじめ、公共料金も上がった。駐在員として住んでいた私ですら、これらの物価の上がりを実感した。にもかかわらず、選挙後に再度ガソリン価格を上げるという宣言があった。
また、首相が公約に掲げていた汚職撲滅は一向に進まず、経済も「これ」といった成果が見えない。それどころか期待された国家自動車政策で車の価格は下がり、中古車価格が値崩れを起こし却って新車は売れなくなった。ブミプトラ政策継続の明言化、UMNO党大会でKerisを振り回したことはノン・マレーの不安をかきたてた。そして、インド系の神聖の場である寺院は、サミーヴェルが両手を上げて止める横でお構いなく壊された。
明るいニュースもあった。新しいショッピングセンターができ、マレーシア初の宇宙飛行士が誕生した。公務員はお給料が上がった。
独立から50年が経ち、ちょうど、マレーシアは過渡期にいる。ひとつには民族間の不信が高まりつつあること。独立時に民族同士の融和を尊んだ切実な思いは、戦後時代の世代が増えたことで現実社会では薄らいだ。独立の団結をテーマにした映画があっという間にオンエアーから姿を消したのも良い例だし、DVDが出る気配もない。さらに、都市部を中心とした治安や社会問題も深刻化している。
マハティール長期政権からアブドゥラ政権に移行し、変化を求めていた国民。しかし、いまひとつ核とした成果が見えず、しかも生活の上ではもやもやとした状態が続き、国民は自分たちの声が届いていないと感じた。そうした中、独立系情報ソースとするインターネットサイトが、政府高官のばくろ話やアブドゥラ首相の娘婿の素性などについて書きたてた。後に、編集長は厳重注意されたが、これまで不透明なお金の動きなどタブー視されていた諸問題を正面から指摘する情報に、国民の関心は集まった。
上記のような出来事の中で、国民が民意を反映させようとしたのが今回の総選挙だ。国民の変革の第一歩が認められ、誰もがこの選挙を受け「これから変わる」と期待に胸をはずませ、笑顔で語ってくれた。それから2ヶ月。政権は変わっただろうか。格差の解消に関する具体的な政策はいまだに聞かれず、野党からの寝返りを禁止する法を作るとし、やもすれば「保身」に写る。結局いつもの顔が残っているし、国民が要求する変化のスピードをうまく吸収できていないことに、マハティールの気持ちは動いたのではないか。
マハティールが降りたのは健康のせいではという説もあるが、アブドゥラ首相が国民の支持を失っているのが明らかになってさえも、誰一人、その対抗馬として国の将来を考え、政権(与党)を変えていこうとする勢いのある人材が出てこないことに嫌気が差した、というのが本心ではないかと思う。
マレーシアのリーダーとして特に必要とされるバランス感覚そして多民族を支える明確な「夢」とそれを実現する指導力。それが欠けると感じる今、国民が自分たちの力で何かをしようとし始めている。大勢の人がそれぞれ動いたとき、どの力に引っ張られていくのか。隙間から何かが落ち、バランスを失わないよう、今こそ次の先手が必要なのではないか。それを、マハティールはじっと心配しながら見つめているような気がする。
■2008.6.5 橋本文子(ジェトロ海外調査部付)