日本マレーシア研究会会報『JAMS News』 創刊準備号〜第20号 総目次
■発足など | ||
特報:ついに発足!! 待望のマレーシア研究会:Japan Association for Malaysian Studies、略してJAMS | 水島司 | 準備号(1992.5.10):1-2 |
JAMSとは・・・ | 編集部 | 準備号(1992.5.10):2-3 |
JAMS 本格的に活動開始 | 水島司 | 第2号(1993.3.10):1 |
「日本マレーシア研究会」の発足にあたって | 堀井健三 | 第2号(1993.3.10):1-2 |
JAMSの発足によせて | 前田成文 | 第2号(1993.3.10):2 |
マレーシア大使を表敬訪問 大使、JAMSの活動に賛同。今後に期待を | 水島司 | 第3号(1993.7.10):1 |
"Message by H.E. Datuk H.M. Khatib, Ambassador of Malaysia" | Datuk H.M. Khatib | 第3号(1993.7.10):付録 |
マレーシア国王のレセプションに出席して | 加藤剛 | 第3号(1993.7.10):2-3 |
マレーシア大使館主催 マレーシアのゆうべ 開催さる | 水島司 | 第6号(1994.7.10):1-2 |
アンダヤ夫妻来日――新版マレーシア史の構想について語る | 明石陽至 | 第8号(1994.12.10):1-2 |
第1回公開セミナー開催 於マレーシア大使館ホール | 第10号(1995.8.1):1-2 | |
マハティール首相 講演と対話の会 於早稲田大学 開催される | 第13号(1997.7.1):8-9 | |
■年次総会 | ||
JAMS総会のご案内 | 創刊号(1992.11.1):1 | |
「1969年「人種暴動」再考――背景、実態および政治的影響について」 | 金子芳樹 | 第3号(1993.7.10):7 |
「農村社会とエスニシティ――クダー州のマレー・タイ関係の事例から」 | 中澤政樹 | 第3号(1993.7.10):7-8 |
第2回JAMS総会の御案内 | 第4号(1993.11.1):1 | |
第2回総会開催 | 西尾寛治 | 第5号(1994.5.30):1-2 |
「マレー王権の政治神話――ヒカヤットの分析を中心に」 | 西尾寛治 | 第5号(1994.5.30):2-3 |
第3回総会のご案内 | 第7号(1994.9.30):1-2 | |
第4回JAMS総会報告 | 第10号(1995.8.1):2-3 | |
第4回JAMS総会に参加して | 根津敦 | 第10号(1995.8.1):8-9 |
「マレーシアにおけるデング熱、WHOの報告から」 | 及川弘 | 第10号(1995.8.1):3-6 |
「天然ゴム(Natural Rubber)」 | 大井寿 | 第10号(1995.8.1):6-7 |
「科学と文化・宗教――マレーシア中等理科カリキュラムに見る葛藤」 | 杉本均 | 第10号(1995.8.1):8 |
第5回JAMS総会の御案内 | 第12号(1996.7.20):1 | |
第5回総会開催 | 第13号(1997.7.1):1 | |
「プロトンによるベンダー育成」 | 穴沢眞 | 第13号(1997.7.1):2 |
「マレーシアにおけるインフラ整備の現状と課題」 | 石筒覚 | 第13号(1997.7.1):3-4 |
「イスラームと観光」 | 桑原季雄 | 第13号(1997.7.1):5 |
「マレーシアにおける地方都市の成立」 | 水島司 | 第13号(1997.7.1):6-7 |
第6回JAMS総会 | 第13号(1997.7.1):10 | |
第6回総会開催 | 石井由香 | 第14号(1998.2.10):1 |
「A Contemporary Profile of the Arabs in Pulau Pinang」 | Omar Farouk Bajunid | 第14号(1998.2.10):2 |
「半島マレーシアにおける地方都市の発展――ジョホール州クルアンを事例として」 | 川元豊和 | 第14号(1998.2.10):3-4 |
「単一民族村と多民族地域の社会連関と空間構成」 | 宇高雄志 | 第14号(1998.2.10):4-5 |
「マレーシア半島部クルアン中心部における商業地区の変化」 | 竹林和彦 | 第14号(1998.2.10):5-6 |
「JAMS' Conference in Seoul: Towards the Deepening of Malaysian Studies in Japan and Korea」 | Kyung-Chan Lee | 第14号(1998.2.10):7-8 |
第7回JAMS総会のご案内 | 横山久 | 第15号(1998.6.10):5 |
第7回総会開催 | 石井由香 | 第16号(1999.2.10):1 |
「東南アジア地域概念とマレーシア」 | 立本成文 | 第16号(1999.2.10):2 |
「オラン・アスリのイスラーム改宗政策」 | 信田敏宏 | 第16号(1999.2.10):2-3 |
「マレーシアにおけるバングラディシュ人出稼ぎ労働者」 | 石田章、シャヒード・ハッサン | 第16号(1999.2.10):3-4 |
「現代マレーシアにおける1つの視点――マリナ・マハティール著“In Liberal Doses”を読んで」 | 綱島(三宅)郁子 | 第16号(1999.2.10):5-6 |
「ジョージタウン・家賃統制令の撤廃を巡って」 | 宇高雄志 | 第16号(1999.2.10):6-7 |
「マレーシアにおけるデング熱 続報――'96〜98大発生(WHOの報告から)」 | 及川弘 | 第16号(1999.2.10):7-8 |
「Kamus Dewan三大話」 | 及川弘 | 第16号(1999.2.10):9-10 |
「日本留学の意味――マレーシア政府派遣留学生の場合」 | 立堀尚子 | 第16号(1999.2.10):10-11 |
「マレーシア経済再生のための資産と課題」 | 青木健 | 第16号(1999.2.10):11-13 |
「絶滅の恐れのある卑小動物とマレーシア」 | 原不二夫 | 第16号(1999.2.10):13-14 |
「ジャワ系マレー人の位置」 | 宮崎恒二 | 第16号(1999.2.10):14 |
第8回総会のお知らせ | 第17号(1999.8.27):1 | |
第8回JAMS総会開催 | 第18号(2000.2.15):1 | |
「通貨危機への対応――IMFとブミプトラ政策のはざまで」 | 岸脇誠 | 第18号(2000.2.15):2-3 |
「マレーシアにおけるキリスト教とマレー(シア)語の関係:マレー(シア)語訳聖書の問題をめぐって」 | 綱島(三宅)郁子 | 第18号(2000.2.15):3-5 |
「マレーシアにおける社会変動と女性高等教育の拡大――プル要因に関する一考察」 | 鴨川明子 | 第18号(2000.2.15):5-6 |
「シンガポールにおけるマレー人コミュニティの自助と自立――開発・イスラーム・マレー/ムスリム団体」 | 金子芳樹 | 第18号(2000.2.15):6-7 |
「模索する市民社会――シンガポール市民社会の挑戦」 | 田中善紀 | 第18号(2000.2.15):7-8 |
第9回JAMS総会のご案内 | 第19号(2000.9.27):1 | |
第9回JAMS総会開催報告 | 石井由香 | 第20号(2001.3.8):1 |
「タミル語小学校の現状と課題をめぐる試論」 | 奥村育栄 | 第20号(2001.3.8):2-3 |
「生物多様性消失のポリティカル・エコロジー――サラワク、バラム河流域のプナン集落の事例から」 | 金沢謙太郎 | 第20号(2001.3.8):3 |
「半島マレーシアにおけるキリスト教とマレー(シア)語の関係――禁止用語に関する州法をめぐって」 | 綱島(三宅)郁子 | 第20号(2001.3.8):3-5 |
「「マレー世界」像の伝達・受容・再編成――英領マラヤにおけるマレー民族主義の思想的基礎」 | 左右田直規 | 第20号(2001.3.8):5-6 |
■各種研究会 | ||
1993年度第1回セミナー開催案内 | 第2号(1993.3.10):11 | |
1993年度第1回セミナー 「マレーシアの工業化と日系企業」 | 吉村真子 | 第3号(1993.7.10):8-9 |
1993年度第2回セミナー 「マレーシアの稲作農業――スブランプライにおけるマレー人農家と華人農家」 | 藤本彰三 | 第4号(1993.11.1):6-7 |
1993年度第3回セミナー 「マレーシアへの接近――マレーシアのコミュナル・ポリティクス」 | 萩原宜之 | 第4号(1993.11.1):7-9 |
関西研究会 「マレーシアのFeldaにみる社会経済的諸問題」 | ?口善美 | 第5号(1994.5.30):4-5 |
関西研究会 「マレーシア社会論の課題――ジョホール州・バトゥ・パハ地区の1地域社会の調査から」 | 永田淳嗣 | 第5号(1994.5.30):5-6 |
1994年度第2回研究会 「クォータ制の評価をめぐって」 | 水島司 | 第6号(1994.7.10):2-4 |
1994年度第2回研究会 「マレーシアの民間療法について――ボモとその知識」 | 宮崎恒二 | 第6号(1994.7.10):4-5 |
1994年度第3回研究会 「日本占領下マラヤにおける強制労働――泰緬鉄道の場合」 | 中原道子 | 第8号(1994.12.10):2 |
1994年度第3回研究会 「マレー人農民の療法選択――マレーシア・ケダ州クバンパス県の稲作農村にみられる近代療法と民間療法の複合的利用」 | 板垣明美 | 第8号(1994.12.10):3-6 |
1996年度第1回研究会 「華人系マレーシア人の国際移動」 | 石井由香 | 第12号(1996.7.20):7-8 |
1996年度第1回研究会 「マレーシアのインドネシア人労働者――マレーシアの経済発展と外国人労働者」 | 吉村真子 | 第12号(1996.7.20):8-9 |
第1回JAMS研究会のお知らせ | 第14号(1998.2.10):10 | |
第1回JAMS研究会 「The Rise and Demise of the Al Arqam Movement in Malaysia: An Interpretation」 | Sharifah Zaleha Syed Hassan | 第15号(1998.6.10):1-3 |
第2回JAMS研究会のお知らせ | 第15号(1998.6.10):6 | |
第2回JAMS研究会 「解決されないインセスト――オラン・アスリ社会におけるアダット、イスラーム、国家」 | 信田敏宏 | 第16号(1999.2.10):15-16 |
第2回JAMS研究会 「Survival Strategies of Siamese Buddhist Temples in the Malay Muslim State of Kelantan」 | Mohamed Yusoff Ismail | 第16号(1999.2.10):16-17 |
第3回JAMS研究会 「東南アジアにおける出稼ぎ者」 | Khadijah Muhamed | 第17号(1999.8.27):13 |
JAMS関西例会のお知らせ | 第17号(1999.8.27):13 | |
JAMS関西例会 「マラヤにおける「大マレー」民族主義の形成――イブラヒム・ハジ・ヤーコブとマレー青年連盟、1930-1945年」 | 左右田直規 | 第18号(2000.2.15):8-9 |
JAMS関西例会 「日系中小企業の活動と現地化の方向性」 | 石筒覚 | 第18号(2000.2.15):9-10 |
JAMS研究会のお知らせ | 第18号(2000.2.15):1 | |
JAMS研究会 「オラン・アスリのラター」 | 信田敏宏 | 第19号(2000.9.27):3-4 |
JAMS研究会 「イバン女性と銀の頭飾り――需給の歴史と表象の誕生」 | 奥野克巳 | 第19号(2000.9.27):4-7 |
JAMS研究会 「From 'Malay Studies' to 'Malay World Studies': An Invitation to a Rethinking」 | Shamsul Amri Baharuddin | 第20号(2001.3.8):7-8 |
■研究短報・現地動向・エッセイ | ||
ジャワ系マレー人と呪術 | 宮崎恒二 | 創刊号(1992.11.1):2-3 |
マレー人の呼称 | 水島司 | 創刊号(1992.11.1):5-6 |
新型プロトン・サガ誕生 | 中澤政樹 | 創刊号(1992.11.1):9-10 |
酒はダメ、でも椰子酒は | 水島司 | 創刊号(1992.11.1):10-12 |
統治者の特権をめぐる「バトル・ロイヤル」 | 金子芳樹 | 第2号(1993.3.10):4-5 |
「マフスリ王女伝説」の真実 | 黒田景子 | 第2号(1993.3.10):6-7 |
ハジ・アフマッドと2人妻 | 永田淳嗣 | 第2号(1993.3.10):9-10 |
村のドリアン拾い | 桑原季雄 | 第3号(1993.7.10):3-4 |
マレーの養子縁組I | 中澤政樹 | 第3号(1993.7.10):4-5 |
「ハッサン軍曹」 映画にみるマレーシア | 金子ちがや | 第3号(1993.7.10):9-10 |
訂正 (ハッサン軍曹) | 第4号(1993.11.1):12 | |
ボルネオではミー食いねぇ | 根津敦 | 第3号(1993.7.10):10-11 |
南タイのタナ・ムラユへの旅 | 西尾寛治 | 第4号(1993.11.1):2-4 |
マレーシアの戦争体験――ある従軍慰安婦の場合 | 中澤政樹 | 第4号(1993.11.1):4-5 |
マレーシアの人気TV "Jangan Ketawa" | 吉村真子 | 第4号(1993.11.1):9-10 |
マレーの養子縁組II | 中澤政樹 | 第4号(1993.11.1):10-11 |
奇妙な「アジア魚市場紀行」 | 黒田景子 | 第5号(1994.5.30):6-7 |
ヒカヤットP.C.B. | 西尾寛治 | 第6号(1994.7.10):5-7 |
タイから見たマレーシア――マレーシアへのある南タイ村からの出稼ぎ | 西井凉子 | 第7号(1994.9.30):3-4 |
マレーシア 私のおすすめ――裏・地球の歩き方 | 石井由香 | 第8号(1994.12.10):6-8 |
ペナン今昔 | 泉田英雄 | 第10号(1995.8.1):9-10 |
JAMS on Net――草の根パソコン通信を利用したJAMS電子事務局 | 泉田英雄 | 第11号(1996.3.10):9-10 |
オラン・アスリ――名称の変遷 | 信田敏宏 | 第11号(1996.3.10):11-12 |
「モナ・ファンディ事件」 | 宮崎恒二 | 第12号(1996.7.20):1-7 |
インペリアリズムとナショナリズム――1998年コモンウェルス競技会開会式を振り返る | 左右田直規 | 第17号(1999.8.27):2-7 |
■資料案内 | ||
List of the Microfilms from Arkib Negara Malaysia 1992 | 水島司 | 準備号(1992.5.10):4-6 |
雑誌紹介 | 水島司 | 創刊号(1992.11.1):6-8 |
政府公文書館(Public Record Office)Kew Garden案内 | 杉本均 | 創刊号(1992.11.1):付録 |
■文献紹介 | ||
バーチ殺害事件とスルタン・アブドッラー | 水島司 | 創刊号(1992.11.1):3-5 |
Hing A.Y. & R. Talib (ed), Women & Employment in Malaysia, 1986(?). | 水島司 | 創刊号(1992.11.1):8 |
Gullick, J.M., Malay Society in the Late Nineteenth Century: The Beginning of Change, 1987(1989). | 水島司 | 創刊号(1992.11.1):8-9 |
Howell, Signe, Society and Cosmos: Chewong of Peninsular Malaysia, 1984. | 信田敏宏 | 第4号(1993.11.1):5-6 |
Abdul Halim Nasir, Kota-Kota Melayu, 1990. | 黒田景子 | 第2号(1993.3.10):8-9 |
Roseman, Marina, Healing Sounds from the Malaysian Rainforest: Temiar Music and Medicine, 1992. | 信田敏宏 | 第3号(1993.7.10):6 |
Akimi Fujimoto, Malay Farmars Respond, 1994. | 水島司 | 第9号(1995.6.1):1-5 |
小熊英治「差別即平等――日本植民地統治思想へのフランス人種社会学の影響」 | 第11号(1996.3.10):7-8 | |
マレーシアの経済開発とエスニック問題――ジェスダーソン著『エスニシティと政治』の翻訳に携わって | 岸脇誠 | 第17号(1999.8.27):7-10 |
■出版案内 | ||
佐藤宏文『ムラユ(マレー)語の知識』、1992年 | 水島司 | 創刊号(1992.11.1):6 |
Miyazaki, Koji (ed.), Local Societies in Malaysia, vol. 1, 1992. | 準備号(1992.5.10):3-4 | |
Craig A. Lockard, “Reflections of Change: Socio-Political Commentary and Criticism on Malaysian Popular Music since 1950”, Crossroads, 1991, 6(1):1-106. | 準備号(1992.5.10):4 | |
三田ASEAN研究会編『現代アジアと国際関係』、1991年 | 準備号(1992.5.10):4 | |
Mark Cleary and Peter Eaton, Borneo: Change and Development, 1992. | 上杉富之 | 第2号(1993.3.10):7-8 |
宮薗夏美編『マレーシア語ことわざノート』、1995年 | 福田美紀 | 第12号(1996.7.20):9-10 |
Sato, Hirobumi, Analisis Nahu Wacana Bahasa Melayu Klasik Berdasarkan Teks Hikayat Hang Tuah, 1997. | 永田淳嗣 | 第15号(1998.6.10):4 |
佐藤宏文『古典ムラユ(マレー)語文学小史』、1997年 | 永田淳嗣 | 第15号(1998.6.10):4 |
R. Santhiram, Education of Minorities?: The Case of Indians in Malaysia, 1999. | 奥村育栄 | 第19号(2000.9.27):7-8 |
■インターネット情報 | ||
Internet情報――マレーシア関係のWWW | 黒田景子 | 第9号(1995.6.1):6-7 |
インターネット情報 | 第10号(1995.8.1):11 | |
インターネット マレーシア | 第11号(1996.3.10):10 | |
■調査許可について | ||
調査許可申請に関する情報 | 佐藤宏文 | 第3号(1993.7.10):11 |
マレーシアでの調査許可について | 第11号(1996.3.10):1 | |
マレーシアでの調査許可申請から調査ビザ取得までの手順 | 黒田景子 | 第11号(1996.3.10):2-3 |
Conducting Social Reseach in Malaysia: Some General Observations | Shamsul A.B. | 第11号(1996.3.10):3-7 |
■組織間交流 | ||
「地域と生態環境」シンポジウム参加記 | 水島司 | 第9号(1995.6.1):5-6 |
アジア各国におけるマレーシア研究 | 第16号(1999.2.10):17 | |
マンディ――その発足の経緯と活動 | 立堀尚子 | 第17号(1999.8.27):10-12 |
Third International Malaysian Studies Conference (MSC3) | 第20号(2001.3.8):1 |
■入会案内 | ||
第3号(1993.7.10):12 | ||
第4号(1993.11.1):12 | ||
■会員名簿 | ||
会員名簿 | 準備号(1992.5.10):6-7 | |
会員名簿更新のお願い | 第15号(1998.6.10):4 | |
告知(会員名簿作成) | 第20号(2001.3.8):9 | |
■会員往来 | ||
加藤剛 | 準備号(1992.5.10):7 | |
水島司 | 準備号(1992.5.10):7 | |
Hood Salleh | 準備号(1992.5.10):8 | |
Omar Farouk Bajunid | 準備号(1992.5.10):8 | |
宮崎恒二 | 第2号(1993.3.10):11 | |
Che Wan Zawawi bin Ibrahim | 第2号(1993.3.10):11 | |
■訃報 | ||
土屋健二(京都大学) | 第9号(1995.6.1):8 | |
堀井健三(大東文化大学) | 第10号(1995.8.1):12 | |
?口善美(駒澤大学) | 第13号(1997.7.1):9 | |
■情報 | ||
ラマダーン(断食月)とハリ・ラヤ・プアサ | 第2号(1993.3.10):11 | |
故ラーマン首相についての情報提供のお願い | 第4号(1993.11.1):12 | |
マラヤ大学の図書購買部の移転 | 第8号(1994.12.10):8 | |
■諸連絡 | ||
事務局より(運営協力のお願いほか) | 第2号(1993.3.10):12 | |
事務局より(事務局移転ほか) | 第3号(1993.7.10):12 | |
事務局より(会員名簿の更新および会費の納入について) | 第5号(1994.5.30):8 | |
お知らせ(事務局の電話番号変更) | 第6号(1994.7.10):8 | |
大変重要なお知らせとお詫び(事務局電話番号) | 第7号(1994.9.30):2 | |
郵便振替口座の開設 | 第9号(1995.6.1):8 | |
事務局より(事務担当者変更) | 第10号(1995.8.1):12 | |
JAMS事務局移転のお知らせ | 第13号(1997.7.1):1 | |
JAMSニューズレター編集部移転のお知らせ | 第16号(1999.2.10):1 | |
■会計報告 | ||
1997年度 | 第15号(1998.6.10):3 | |
1998年度 | 第17号(1999.8.27):12 | |
1999年度 | 第20号(2001.3.8):9 | |
■会費納入のお願い | ||
第12号(1996.7.20):10 | ||
第13号(1997.7.1):10 | ||
第14号(1998.2.10):9 | ||
第15号(1998.6.10):3 | ||
第16号(1999.2.10):18 | ||
第17号(1999.8.27):14 | ||
第18号(2000.2.15):11 | ||
第19号(2000.9.27):9 | ||
第20号(2001.3.8):9 | ||
■原稿募集 | ||
準備号(1992.5.10):8 | ||
第7号(1994.9.30):4 | ||
第9号(1995.6.1):8 | ||
第13号(1997.7.1):10 | ||
第14号(1998.2.10):9 | ||
第15号(1998.6.10):5 | ||
■編集後記 | ||
創刊号(1992.11.1):12 | ||
第2号(1993.3.10):12 | ||
第3号(1993.7.10):12 | ||
第4号(1993.11.1):12 | ||
第5号(1994.5.30):8 | ||
第6号(1994.7.10):8 | ||
第7号(1994.9.30):4 | ||
第8号(1994.12.10):8 | ||
第9号(1995.6.1):8 | ||
第10号(1995.8.1):12 | ||
第11号(1996.3.10):12 | ||
第12号(1996.7.20):10 | ||
第13号(1997.7.1):10 | ||
第14号(1998.2.10):10 | ||
第15号(1998.6.10):6 | ||
第16号(1999.2.10):18 | ||
第17号(1999.8.27):14 | ||
第18号(2000.2.15):11 | ||
第19号(2000.9.27):9 | ||
第20号(2001.3.8):9 |